イースター蜂起とアイルランド人作家
西南学院大学准教授 河原真也 氏
『ダブリンにある、コノリー、ヒューストン、ピアースという鉄道ターミナルr駅はいずれも「イースター蜂起」の指導者の名前が駅名になっています。意外と知られていないのですが、その他の駅にも歴史的事件の指導者の名前が付けられています。かってキングズタウンとよ呼ばれたダンリアーリ駅にはマリン(mallin)が、海岸のリゾート地であるブレイにはディリー(Daly)が、そしてクロムウェルが上陸したドロヘダにはマクブライド(MacBride)が。このようにアイルランド共和国では、英国からの独立の道をひらいた「イースター蜂起」が社会の至るところに歴史の記憶としてとどめられ、国家のアイデンティティの象徴として今なお尊重されているのです。この歴史的大事件から百年を迎える2016年に向けて、新聞の投書欄などでは、記念行事がどうあるべきかと多くの意見が交わされています。かって国民的詩人W・B・イエイツは、有名な’Easter 1916’の中で先に挙げた指導者の名前に言及しました。では現代のアイルランド人作家(芸術家)はこの事件をどう描いているのでしょうか?この武装蜂起の評価をめぐっては、英国からの独立後、美化された面が多いことが近年の研究で明らかになってきました。今回は20世紀半ば以降の作家(芸術家)が描く「イースター蜂起」の表象を参考にしながら、20世紀初頭のアイルランドの社会事情を検証すると同時に、この事件が神格化された背景を探っていきたいと思います。