アイルランドにおける伝承のバラッドとリテラリー・バラッドの姿

アイルランドにおける伝承のバラッドとリテラリー・バラッドの姿
18世紀から20世紀にかけて

福岡大学 外国語講師  三木 菜緒美 氏

 ジェームス・ジョイスの短編『ダブリン市民』の中から「死者たち」を映画化したジョン・ヒューストン監督の作品『ザ・デッド』には、ジョイスが聞き馴染んでいたというバラッドが美しく歌われる場面があります。バラッドというのは、中世以来ヨーロッパ各地でうたいつがれてきた作者未詳の物語歌です。一個人である詩人や語り部たちがつくり、歌ってきたものとは違い、民衆の中から生まれたものといってもよいでしょう。そのため個人が作ったものと区別して、この口承のものを「伝承バラッド」と呼んでいます。押韻やリフレインなどシンプルな形式を用い、戦いや恋愛、呪い、亡霊、妖精、変身などをテーマとし、イングランドやスコットランドでは15、16世紀頃に最盛期を迎え、シェイクスピアなどの劇作品にも影響を与えてきました。
アイルランドにはアルスター地方を中心に17世紀初めに入植者たちとともに入ってきたといわれており、英語使用の広がり、そして文字としての定着を促した「ブロードサイド・バラッド」の広がりと平行して、アイルランドでもその人気は広まっていきました。その後、このバラットを好んで模倣し、自分の試作品に取り入れたいった詩人が生まれました。このような詩人が作ったバラッドを”Literary Ballad”(リテラリー・バラッド)「バラッド詩」といいます。
18世紀であればスウィフトやゴールドスミスから、現代であればW.B.イェイツまで様々な詩人達がバラッドに親しみ、自らのバラッド観、社会観を表現していきました。
まずは、バラッドの中でもアイルランドで歌われたていた伝承バラッドをいくつか具体的に見て、聞いてみたいと思います。それから18世紀から20世紀にかけてどのようなバラッド詩が作られていったのか、その一部を紹介してみたいと思います。

黄金と生命とケルトの自然観 ~時間と錬金の人類史~

黄金と生命とケルトの自然観
~時間と錬金の人類史~

◎4月のケルトセミナーに続く第2弾!

多摩美術大学教授 鶴岡真弓 氏

 癒しに通じる自然観で知られる、ケルト・北欧の神話の「剣」(黄金)は、じつは「生き物=生命」だったという話から起こして、壮大な人類の黄金ロードをしめしながら、私達人類の「黄金」の生命=時間を錬金してきた「心・知・技」の過去・現在・未来を描き出す。
講師の最新著書『黄金と生命』が講談社から発刊されたのを記念にお話いただきます。
尚、翌日、14日は鶴岡先生の最新刊をThe Celts(ザ・ケルツ)で著者と一緒に読み解く会を催します。詳細は下をご覧ください。

心地よい熊本で祖国アイルランドを思う

心地よい熊本で祖国アイルランドを思う

崇城大学教授 Peter Flaherty氏

 今年は日本・アイルランド外交樹立50周年の記念すべき年です。Peter Flaherty氏はアイルランド・ゴールウェイ出身。日本には35年間滞在されています。教授が生まれ育った(昭和22年頃)のアイルランド事情、魂に刻まれているケルト文化、今のアイルランドの状況、外交樹立50周年までの日本とアイルランドの交流史、「国際化」という荒波がもたらこと、或いは日本人にとってのケルト文化の魅力などー長期の日本滞在で考えられていることを、日常の雑感なども交えなが語っていただきます。

ザ・チーフタンズの20世紀-あるいはアイルランド音楽と社会

ザ・チーフタンズの20世紀-あるいはアイルランド音楽と社会

翻訳家 茂木 健 氏

 1942年のクリスマス、四歳だったパディ・モローニが母にティン・ホイッスルを買ってもらった瞬間から、ザ・チーフタンズの歴史は刻まれはじめる。1959年の作曲家ジョーン・オ・リアダとの出会い、キョールトリ・クーランの結成と解散を経て、パディを中心に結成されたバンドがチーフタンズであり、以降、メンバーの交替はあっても、かれらは常にアイルランド音楽の最前線に立ち続けてきた。チーフタンズが出発した1960年代前半、アイルランド本国でさえ伝統音楽は都市住民を中心に蔑まれたており、鑑賞すべき作品としての伝統音楽の提示は、それだけでひとつの冒険だった。そのような時代から、『リバーダンス』や「イナバウアー」に至るまでの約半世紀の間には、いったいなにがあったのかパディ・モローニとチーフタンズの軌跡を再検証しながら、各時代のアイルランド音楽および社会を、実際の音源を通して概観してみようというのが今回の目論見です。

アーサー王伝説の剣と聖杯の世界史 ケルトとインド=ヨーロッパ語族の共通神話の視点からみる

アーサー王伝説の剣と聖杯の世界史
ケルトとインド=ヨーロッパ語族の共通神話の視点からみる

多摩美術大学教授 鶴岡真弓 氏

 アーサー王伝説の剣と聖杯には、ユーラシア大陸の東西に文明を築いた、ケルトを西の雄とするとインド=ヨーロッパ語族の共通神話と技術が反映しています。今回はケルト伝説のアーサー王伝説と北欧神話のジークフリート伝説とを主に比較しながら、剣=金属=黄金を「生きもの」と見なしてきた人々の自然観・生命観を明らかにしたいと思います。超自然的な力を持つ剣=金属=黄金を生み出してきた魔術師 即ちマリーンなどの役割にも焦点を当て、インド=ヨーロッパ語族に共通する黄金と金属の神話の核心と精神文化についてお話しいたします。
2007年4月下旬に10年ぶりの大著『黄金と生命』(講談社)刊行予定。今回のケルトセミナーのテーマはその本の先駆けたものになります。ご期待ください。a

ジュリアン・グラックと聖杯探求 戯曲「漁夫王」をめぐって

ジュリアン・グラックと聖杯探求
戯曲「漁夫王」をめぐって

西南大学名誉教授 有田 忠郎氏

 ジュリアン・グラック(1910~)は1948年『漁夫王』を発表いました。
グラック唯一の戯曲で、翌年4月から5月までモンパルナス劇場で上演されました。中世の「聖杯物語」に素材を得たものです。12世紀末フランスのクレチアン・ド・トロワの手になるこの未完の物語は、その後およそ半世紀にわたり複数の作家によって書き継がれました。しかし15世紀イギリスのマロリーによる再話などを除けば、主題の基本的な展開は文学史から姿を消しました。舞台に再び登場するのはワグナーの『パルジファル』の初演(1882年)をまたなければなりません。あれほど熱烈に探究されてきた聖なる器の行方が、光を失った触の状態にあったのです。たぶん魂の最も深い層に潜行し、それゆえに、さまざまな神秘物語に利用されてきたのでしょう。
グラックの『漁夫王』は、登場人物の面ではクレチアン・ド・トロワとワグナーに依拠しています。しかし、「聖なるもの」については表象はまったく異なります。われこそは聖杯を発見する資格がある騎士という気負いで「漁夫王」の城に入って行く若きペルスヴァルがどんな思いがけない怖ろしい体験をして城から退出しなければならなかったか。グラックは、処女作『アルゴールの城にて』を「パルジファルの悪魔的書き換え」と呼びましたが、この形容はむしろ『漁夫王』にこそ相応しいと思われます。
この戯曲は、ただ一度上映されたきりでした。グラックの小説やエッセイはほとんどすべて邦訳されていますが、『漁夫王』は発表から半世紀たった今日も日本語訳はありません。いろいろな意味で謎を孕んだ作品と言えましょう。

サミュエル・ベケット 生誕100周年記念 パネル展&記念講演会

サミュエル・ベケット
生誕100周年記念
パネル展&記念講演会

今年はアイルランド出身の劇作家で、1969年にノーベル文化賞を受賞したサミュエル・ベケットの生誕100周年にあたりますそれを記念してのパネル展が世界各地を巡回しています。
福岡では九州産業大学、駐日アイルランド大使館及び当会との共催で実施することになりました。パネル展とともに記念講演会も開催いたします。
来場者にはアイルランド大使館よりベケットのガイドブックが贈呈されます。

うたわれるハイランド 詩人ソーリー・マクリーンの作品と生涯

うたわれるハイランド
詩人ソーリー・マクリーンの作品と生涯

中央大学教授  小菅 奎申氏

 ソ-リ-・マクリ-ン(Sorly MacLean)は,日本では、スコットランドの研究者の間でさえあまり知られていません。名前ぐらいは知っているという学者でも、彼の詩を読んでいる人はきわめて少数です。ところが、彼は20世紀スコットランドを代表する詩人、いやスコットランドの歴史の中で最も偉大な詩人の一人なのです。
なぜ知られていないのでしょうか?それは彼がゲール語で詩作しているので、英訳はあっても”英文学研究者”はほとんど無視しているからであり、また私達自身ゲール語文化に対してきわめ希薄な関心しか寄せてこなかったからです。この講演で、この偏りを少しでも軌道修正できたら幸いであると思っています。
彼は1911年、スカイ島と本土の間にある小さな島、ラ-セイ(Raasay)に生まれ、軍役についていた数年を除いて、72年に引退するまでずっと中等学校の教員ないし校長として働きました。ほとんどの作品は、この仕事の傍ら作られたのです。しかし、詩人マクリ-ンの名声は、引退後、スカイ島で悠々自適の生活を送り始めてから年々高まるばかりで、友邦アイルランドの詩人たち(ゲール語で詩作するか否かにかかわりなく)の間でも、ほとんどカルト的な存在にまで達しました。彼の生涯にも目を向けながら、主要作品のいくつかを味わってみたいと思います。