ケルトの水脈 ~ブルターニュ(ブレイス)がケルトを意識するとき~

ケルトの水脈
~ブルターニュ(ブレイス)がケルトを意識するとき~

女子美術大学教授    原 聖 氏

 ブルターニュ(ブレイス)では、現在、「ケルト間交流祭り(フェスティバル・アンテールセルティック」というイヴェントが40万人もの観客を集めて開催され、「ケルト・サークル(セルクル・セルティック)」という伝統舞踏の愛好家団体は、200を超える支部をブルターニュ全域にもっている。ブルターニュにとって「ケルト」とは、アイデンティティの重要な部分であり観光資源ともなっているのである。
フランスにおける「ケルト」は、16世紀に登場し、当初は「ガリア(ゴール)と同義だった。反フランス的な民族主義の核として「ケルト」が意識されるようになるのは、19世紀半ば以降である。こうしたなかで、民俗学が対象とする、生活習慣や民話に含まれる、キリスト教に包摂されないような部分が「ケルト的」とみなされるようになるのである。
同時に、ケルト諸語の同族性をもとにしたケルト語圏の交流活動が始まる。
これが、はじめに紹介したイヴェントや団体にまでつながっているのである。
こうした「ケルト」について、具体的事例を通して解説する。

「水上往還」 ~アイルランドにおける航海譚と異界の風景~

「水上往還」
~アイルランドにおける航海譚と異界の風景~

中央大学教授  松村賢一 氏

アイルランドに残存する数多くの神話や伝統は古代・中世の物語として今に伝えられていますが、その源はストーリーテリングとよばれる《語り》でした。ストーリーテリングは伝承の過程で変容しながらも、多くが12世紀のアイルランド修道院文化の黄金期を経て文字に写されていきました。中でも異色な物語群に中世の航海譚があります。『ブランの航海』は最も古い航海の物語とされ、日本古代の常世の国を彷彿とさせる異界の風景が存分に写し出されています。妖精の誘いをうけ、潮路はるかな「女人の国」を訪れたブランの一行がアイルランドの岸辺に還って来た時には、幾百年が過ぎていました。この話はどのような心性から生まれたのでしょうか。万葉集や丹後風土記逸文などに遡る神仙譚の浦島子に似ているところがあります。
このほかにラテン語による『聖ブレダンの航海』と酷似した『マールドゥーンの航海』、アイオーナ島から二人の修道士が海上巡礼する『スネーフサとリーラの息子の航海』、天国と地獄をモチーフにした『コラの末裔三兄弟の航海』などがあります。とりわけ『コラの末裔三兄弟の航海』はキリスト教の贖罪巡礼をめぐる航海譚ですが、贖罪ではなく悟りとして観音菩薩のもとに生まれ変わることを願った日本の僧たちの補陀落渡海についても触れたいと思います。

アイルランドにおける伝承のバラッドとリテラリー・バラッドの姿 18世紀から20世紀にかけて

アイルランドにおける伝承のバラッドとリテラリー・バラッドの姿
18世紀から20世紀にかけて

福岡大学 外国語講師  三木 菜緒美 氏

 ジェームス・ジョイスの短編『ダブリン市民』の中から「死者たち」を映画化したジョン・ヒューストン監督の作品『ザ・デッド』には、ジョイスが聞き馴染んでいたというバラッドが美しく歌われる場面があります。バラッドというのは、中世以来ヨーロッパ各地でうたいつがれてきた作者未詳の物語歌です。一個人である詩人や語り部たちがつくり、歌ってきたものとは違い、民衆の中から生まれたものといってもよいでしょう。そのため個人が作ったものと区別して、この口承のものを「伝承バラッド」と呼んでいます。押韻やリフレインなどシンプルな形式を用い、戦いや恋愛、呪い、亡霊、妖精、変身などをテーマとし、イングランドやスコットランドでは15、16世紀頃に最盛期を迎え、シェイクスピアなどの劇作品にも影響を与えてきました。
アイルランドにはアルスター地方を中心に17世紀初めに入植者たちとともに入ってきたといわれており、英語使用の広がり、そして文字としての定着を促した「ブロードサイド・バラッド」の広がりと平行して、アイルランドでもその人気は広まっていきました。その後、このバラットを好んで模倣し、自分の試作品に取り入れたいった詩人が生まれました。このような詩人が作ったバラッドを”Literary Ballad”(リテラリー・バラッド)「バラッド詩」といいます。
18世紀であればスウィフトやゴールドスミスから、現代であればW.B.イェイツまで様々な詩人達がバラッドに親しみ、自らのバラッド観、社会観を表現していきました。
まずは、バラッドの中でもアイルランドで歌われたていた伝承バラッドをいくつか具体的に見て、聞いてみたいと思います。それから18世紀から20世紀にかけてどのようなバラッド詩が作られていったのか、その一部を紹介してみたいと思います。

Bardとしてのイェイツ -イェイツ詩の多声的な声

Bardとしてのイェイツ -イェイツ詩の多声的な声

神戸親和女子大学名誉教授  松田 誠思 氏

 詩人・劇作家W.B.イェイツ(1865-1939)の文学活動は、1880年代末に始まり、1939年に亡くなるまで半世紀に及んでいます。それは英国の支配下にあったアイルランドが、独立のための戦いと挫折を繰り返し、第一次大戦後に「アイルランド自由国」(1922)が成立したにもかかわらず、その国家形態と主権問題をめぐって国論が分裂して内乱が起こり、一応の決着が図られた後も、政治・社会運営において宗派・階級間の深刻な対立が続き、国家的にも文化的にもきわめて不安定かつ流動的な時代でした。
イェイツの文化活動に、このようなアイルランド社会の動向が反映されているのはもちろんですが、彼の詩人としてのあり方には、近現代の多くの詩人たちとは異なるいくつかの特質が現れています。最も注目すべき点は、彼自身、近代ヨーロッパ世界の認識論や価値観を土台に生きてきたにもかかわらず、ある時期からその枠組みを作り直そうとしたことです。彼の心事をあえて一言で言えば、生についても死についても、古代人の経験と英知を学び、蘇らせるべきだということになるでしょうか。もう一つは、社会における詩人の公的役割と地位の重視です。
古代・中世のアイルランドには、Bard(バード)と呼ばれる詩人・語り部がいました。部族の神話・伝説や、系譜・歴史を語り伝える高い素養を持ち、時に応じて詩を吟じ、人々を楽しませるきわめて重要な役割を担っていました。
イェイツは若い時からこのバードの伝説に自分を位置づけ、高貴な精神性と民衆的生のエネルギーに形を与えようとしました。彼の詩が時とともに多様な「声」を獲得し、みごとに響かせている例を、いくつかご紹介したいと思います

Bardとしてのイェイツ-イェイツ詩の多声的な声

Bardとしてのイェイツ-イェイツ詩の多声的な声

神戸親和女子大学名誉教授  松田 誠思 氏

詩人・劇作家W.B.イェイツ(1865-1939)の文学活動は、1880年代末に始まり、1939年に亡くなるまで半世紀に及んでいます。それは英国の支配下にあったアイルランドが、独立のための戦いと挫折を繰り返し、第一次大戦後に「アイルランド自由国」(1922)が成立したにもかかわらず、その国家形態と主権問題をめぐって国論が分裂して内乱が起こり、一応の決着が図られた後も、政治・社会運営において宗派・階級間の深刻な対立が続き、国家的にも文化的にもきわめて不安定かつ流動的な時代でした。
イェイツの文化活動に、このようなアイルランド社会の動向が反映されているのはもちろんですが、彼の詩人としてのあり方には、近現代の多くの詩人たちとは異なるいくつかの特質が現れています。最も注目すべき点は、彼自身、近代ヨーロッパ世界の認識論や価値観を土台に生きてきたにもかかわらず、ある時期からその枠組みを作り直そうとしたことです。彼の心事をあえて一言で言えば、生についても死についても、古代人の経験と英知を学び、蘇らせるべきだということになるでしょうか。もう一つは、社会における詩人の公的役割と地位の重視です。
古代・中世のアイルランドには、Bard(バード)と呼ばれる詩人・語り部がいました。部族の神話・伝説や、系譜・歴史を語り伝える高い素養を持ち、時に応じて詩を吟じ、人々を楽しませるきわめて重要な役割を担っていました。
イェイツは若い時からこのバードの伝説に自分を位置づけ、高貴な精神性と民衆的生のエネルギーに形を与えようとしました。彼の詩が時とともに多様な「声」を獲得し、みごとに響かせている例を、いくつかご紹介したいと思います

異界の使者クーフリン  ケルト神話の原点をさぐる

異界の使者クーフリン  ケルト神話の原点をさぐる

京都大学名誉教授 佐野哲郎 氏

 すべての民族が持っているといわれる神話には、必ず異界が現れます。それは、あるいは神の国であり、あるいは死者の世界であり、あるいは海の彼方の理想郷です。これらの異界の存在を認識することこそが、人間に、生きることの意味を教えてきたのです。アイルランド神話の最大の英雄と言われるクーフリンは、異界の父の子として生まれ、異界と行き来し、生涯、異界と縁が切れることがありませんでした。このいわば異界の使者としてのクーフリンが私の話の主人公となります。
ウェールズの伝承から発展したとされるアーサー王物語に、「サー・ガウェインの緑の騎士」という物語があります。これを、同じ主題をもつ、クーフリンの物語と比べる事から始め、クーフリンの数多い冒険譚を紹介して、アイルランド神話の原点がどういうものであるかを、考えようと思います。
さらに、強調したいことは、アイルランド神話と日本神話との間にある不思議な類似です。海を越えて常若の国へ行ったアシーンの物語と、浦島伝説とが似ていることは、よく知られていますが、ほかにも、地名の由来へのこだわりという重要な類似があります。それをお話しすることが、もう一つの柱です。

アイルランドにおける伝承のバラッドとリテラリー・バラッドの姿

アイルランドにおける伝承のバラッドとリテラリー・バラッドの姿
18世紀から20世紀にかけて

福岡大学 外国語講師  三木 菜緒美 氏

 ジェームス・ジョイスの短編『ダブリン市民』の中から「死者たち」を映画化したジョン・ヒューストン監督の作品『ザ・デッド』には、ジョイスが聞き馴染んでいたというバラッドが美しく歌われる場面があります。バラッドというのは、中世以来ヨーロッパ各地でうたいつがれてきた作者未詳の物語歌です。一個人である詩人や語り部たちがつくり、歌ってきたものとは違い、民衆の中から生まれたものといってもよいでしょう。そのため個人が作ったものと区別して、この口承のものを「伝承バラッド」と呼んでいます。押韻やリフレインなどシンプルな形式を用い、戦いや恋愛、呪い、亡霊、妖精、変身などをテーマとし、イングランドやスコットランドでは15、16世紀頃に最盛期を迎え、シェイクスピアなどの劇作品にも影響を与えてきました。
アイルランドにはアルスター地方を中心に17世紀初めに入植者たちとともに入ってきたといわれており、英語使用の広がり、そして文字としての定着を促した「ブロードサイド・バラッド」の広がりと平行して、アイルランドでもその人気は広まっていきました。その後、このバラットを好んで模倣し、自分の試作品に取り入れたいった詩人が生まれました。このような詩人が作ったバラッドを”Literary Ballad”(リテラリー・バラッド)「バラッド詩」といいます。
18世紀であればスウィフトやゴールドスミスから、現代であればW.B.イェイツまで様々な詩人達がバラッドに親しみ、自らのバラッド観、社会観を表現していきました。
まずは、バラッドの中でもアイルランドで歌われたていた伝承バラッドをいくつか具体的に見て、聞いてみたいと思います。それから18世紀から20世紀にかけてどのようなバラッド詩が作られていったのか、その一部を紹介してみたいと思います。