ザ・チーフタンズの20世紀-あるいはアイルランド音楽と社会

ザ・チーフタンズの20世紀-あるいはアイルランド音楽と社会

翻訳家 茂木 健 氏

 1942年のクリスマス、四歳だったパディ・モローニが母にティン・ホイッスルを買ってもらった瞬間から、ザ・チーフタンズの歴史は刻まれはじめる。1959年の作曲家ジョーン・オ・リアダとの出会い、キョールトリ・クーランの結成と解散を経て、パディを中心に結成されたバンドがチーフタンズであり、以降、メンバーの交替はあっても、かれらは常にアイルランド音楽の最前線に立ち続けてきた。チーフタンズが出発した1960年代前半、アイルランド本国でさえ伝統音楽は都市住民を中心に蔑まれたており、鑑賞すべき作品としての伝統音楽の提示は、それだけでひとつの冒険だった。そのような時代から、『リバーダンス』や「イナバウアー」に至るまでの約半世紀の間には、いったいなにがあったのかパディ・モローニとチーフタンズの軌跡を再検証しながら、各時代のアイルランド音楽および社会を、実際の音源を通して概観してみようというのが今回の目論見です。

アーサー王伝説の剣と聖杯の世界史 ケルトとインド=ヨーロッパ語族の共通神話の視点からみる

アーサー王伝説の剣と聖杯の世界史
ケルトとインド=ヨーロッパ語族の共通神話の視点からみる

多摩美術大学教授 鶴岡真弓 氏

 アーサー王伝説の剣と聖杯には、ユーラシア大陸の東西に文明を築いた、ケルトを西の雄とするとインド=ヨーロッパ語族の共通神話と技術が反映しています。今回はケルト伝説のアーサー王伝説と北欧神話のジークフリート伝説とを主に比較しながら、剣=金属=黄金を「生きもの」と見なしてきた人々の自然観・生命観を明らかにしたいと思います。超自然的な力を持つ剣=金属=黄金を生み出してきた魔術師 即ちマリーンなどの役割にも焦点を当て、インド=ヨーロッパ語族に共通する黄金と金属の神話の核心と精神文化についてお話しいたします。
2007年4月下旬に10年ぶりの大著『黄金と生命』(講談社)刊行予定。今回のケルトセミナーのテーマはその本の先駆けたものになります。ご期待ください。a

語学講座2007

4月~7月
9月~12月

ゲール語(中級)

毎週第2土曜日 3ヶ月コース
翻訳家 平島直一郎氏
会場  NPOボランティア交流センター

アイリッシュダンス 3ヶ月講座2007

アイリッシュダンス 3ヶ月講座2007

2ダンスと指導力に定評のある、 宮澤紅子さんを毎回、東京からお招きして、毎月一回のワークショップで学びます。
その後それに準じた自主練習会で、毎月一回復習していきます。初めての方も気軽に、ご参加ください。その日から踊れるカントリーダンス系の2ハンドダンスやシンプルなグループダンスも交えて音楽に親しみながら進めていきます。
日本ケルト協会 事務局 Tel/Fax 092-574-0331
http://www.celtic.or.jp  keiko-y@celtic.or.jp
ダンス担当 浜口 090-2283-2559

自主練習会

基礎ステップの復習を中心に自主的な練習会を毎月一回予定しています。
会場/The Celts

The Playboy of the Western World By J.M.Synge(187~1909)

The Playboy of the Western World
By J.M.Synge(187~1909)

講師 帝京大学助教授  日本ケルト協会会員 木村俊幸氏

シング(J.M.Synge)はシェイクスピアの再来と謳われながら37歳という若さでこの世を去ったアイルランドの天才劇作家、詩人です。
今回の輪読会では、シングの名を不朽にした6篇の劇作品のうち、最高傑作の呼び声が高い『西の国のプレーボーイ』(The Playboy of the Western World)を読んでいきます。この作品は、1907年アビー座での初演の際、いくつかの表現や場面が道徳的に不適切であるという理由で、観劇していたナショナリストたちから猛烈なブーイングの嵐に見舞われ、上演はしばしば中断のやむなきに至りました。
こらがシングの名を一躍有名にした、いわゆる“The Playboy Riots”と呼ばれる、「騒動」ですが、この作品の主眼は、良俗に反するか否かといった偏狭な政治的党派性とは関わりなく、臆病で好色、ほら吹きで怠け者の主人公クリスティーを中心に、主人公の言動に翻弄される人々の喜怒哀楽を生き生きと描くことにありました。
劇の終幕では勇敢で真に男らしい男に脱皮してく主人公の姿が暗示されていますが、その姿にシングはどのようなメッセージを託そうとしたのでしょうか。この輪読会をつうじて参加者のみなさんとともに考えてみたいと思います。

アイリッシュダンス公開講座&自主練習会2007

アイリッシュダンス公開講座&自主練習会2007

ダンスと指導力に定評のある、 宮澤紅子さんを毎回、東京からお招きして、毎月一回のワークショップで学びます。
その後それに準じた自主練習会で、毎月一回復習していきます。初めての方も気軽に、ご参加ください。その日から踊れるカントリーダンス系の2ハンドダンスやシンプルなグループダンスも交えて音楽に親しみながら進めていきます。

日本ケルト協会 事務局 Tel/Fax 092-574-0331
http://www.celtic.or.jp  keiko-y@celtic.or.jp

ジュリアン・グラックと聖杯探求 戯曲「漁夫王」をめぐって

ジュリアン・グラックと聖杯探求
戯曲「漁夫王」をめぐって

西南大学名誉教授 有田 忠郎氏

 ジュリアン・グラック(1910~)は1948年『漁夫王』を発表いました。
グラック唯一の戯曲で、翌年4月から5月までモンパルナス劇場で上演されました。中世の「聖杯物語」に素材を得たものです。12世紀末フランスのクレチアン・ド・トロワの手になるこの未完の物語は、その後およそ半世紀にわたり複数の作家によって書き継がれました。しかし15世紀イギリスのマロリーによる再話などを除けば、主題の基本的な展開は文学史から姿を消しました。舞台に再び登場するのはワグナーの『パルジファル』の初演(1882年)をまたなければなりません。あれほど熱烈に探究されてきた聖なる器の行方が、光を失った触の状態にあったのです。たぶん魂の最も深い層に潜行し、それゆえに、さまざまな神秘物語に利用されてきたのでしょう。
グラックの『漁夫王』は、登場人物の面ではクレチアン・ド・トロワとワグナーに依拠しています。しかし、「聖なるもの」については表象はまったく異なります。われこそは聖杯を発見する資格がある騎士という気負いで「漁夫王」の城に入って行く若きペルスヴァルがどんな思いがけない怖ろしい体験をして城から退出しなければならなかったか。グラックは、処女作『アルゴールの城にて』を「パルジファルの悪魔的書き換え」と呼びましたが、この形容はむしろ『漁夫王』にこそ相応しいと思われます。
この戯曲は、ただ一度上映されたきりでした。グラックの小説やエッセイはほとんどすべて邦訳されていますが、『漁夫王』は発表から半世紀たった今日も日本語訳はありません。いろいろな意味で謎を孕んだ作品と言えましょう。

サミュエル・ベケット 生誕100周年記念 パネル展&記念講演会

サミュエル・ベケット
生誕100周年記念
パネル展&記念講演会

今年はアイルランド出身の劇作家で、1969年にノーベル文化賞を受賞したサミュエル・ベケットの生誕100周年にあたりますそれを記念してのパネル展が世界各地を巡回しています。
福岡では九州産業大学、駐日アイルランド大使館及び当会との共催で実施することになりました。パネル展とともに記念講演会も開催いたします。
来場者にはアイルランド大使館よりベケットのガイドブックが贈呈されます。

うたわれるハイランド 詩人ソーリー・マクリーンの作品と生涯

うたわれるハイランド
詩人ソーリー・マクリーンの作品と生涯

中央大学教授  小菅 奎申氏

 ソ-リ-・マクリ-ン(Sorly MacLean)は,日本では、スコットランドの研究者の間でさえあまり知られていません。名前ぐらいは知っているという学者でも、彼の詩を読んでいる人はきわめて少数です。ところが、彼は20世紀スコットランドを代表する詩人、いやスコットランドの歴史の中で最も偉大な詩人の一人なのです。
なぜ知られていないのでしょうか?それは彼がゲール語で詩作しているので、英訳はあっても”英文学研究者”はほとんど無視しているからであり、また私達自身ゲール語文化に対してきわめ希薄な関心しか寄せてこなかったからです。この講演で、この偏りを少しでも軌道修正できたら幸いであると思っています。
彼は1911年、スカイ島と本土の間にある小さな島、ラ-セイ(Raasay)に生まれ、軍役についていた数年を除いて、72年に引退するまでずっと中等学校の教員ないし校長として働きました。ほとんどの作品は、この仕事の傍ら作られたのです。しかし、詩人マクリ-ンの名声は、引退後、スカイ島で悠々自適の生活を送り始めてから年々高まるばかりで、友邦アイルランドの詩人たち(ゲール語で詩作するか否かにかかわりなく)の間でも、ほとんどカルト的な存在にまで達しました。彼の生涯にも目を向けながら、主要作品のいくつかを味わってみたいと思います。

ペトログラフの里シリーズ(9)日帰りバスツァー 宗像族の巨石文化を訪ねる ~竹原古墳、王塚古墳、芦屋のシャーマン、宗像大社、宮地嶽古墳~

ペトログラフの里シリーズ(9)日帰りバスツァー
宗像族の巨石文化を訪ねる
~竹原古墳、王塚古墳、芦屋のシャーマン、宗像大社、宮地嶽古墳~

《北部九州の古代を一変する芦屋母子シャーマンのミイラ》

 NPO法人日本巨石文化研究所理事長      武内 一忠 氏

沖ノ島を海上神殿としていた安曇海人族とその末裔とされる宗像海人族の居城・宗像大社。
ヤマトの豪族が活躍した宮地嶽神社古墳や竹原装飾古墳。また今回開帳される王塚古墳などの日本の歴史を書き起こす「記紀」の時代以前に、すでにグローバルに活躍した海洋民族の足跡を検証する。芦屋より発見された母子のシャーマンのミイラは紀元前1500年のもの。3500年前に北九州はすでに海洋豪族らのコロニーでもあったのか。その頃世界では、シュメール文明が衰退しアッカドからアッシリアへと戦乱の世が広がり、ヘブライ族はヨゼフを頼ってエジプトに—しかしイブリ族と蔑まれモーゼとともに出エジプトの歴史を綴っている。その日本にシュメール系の海洋民族がフェニキア航海民とともに来訪するのはそれから間もない頃である。