自由と土地を求めて ~アイルランド土地戦争(1879~82年)を中心に

自由と土地を求めて~アイルランド土地戦争(1879~82年)を中心に

人は地球上の特定の土地を 占めて生きている。私有財産制が支配的となるはるか以前からそうである。人は「いかなる根拠」で、特定の土地を占有することができるのだろうか。土地問題の本質はここにある。
「高い生産力」と「民主主義」に輝く「繁栄」を謳歌するヴィクトリアン・エイジの真只中の1840年代後半、連合王国併合下のアイルランドで大飢饉が発生した。少なくとも、百万人以上が殺され、百数十万人以上が海外に脱出した。これを契機に土地問題が新しい形で生起することになる。
1870年代の連合王国全体の土地調査が計らずも、少数者による独占的土地支配を暴露するなかで、70年代末から80年代にかけて、イギリスからの自治・独立問題とからみあう形で、空前絶後の土地闘争(土地戦争)が勃発した。アイルランド農民大衆が主役として舞台に登場したこの土地戦争は何を提起したのか、そもそもアイルランド土地問題とは何か、今生きる私たちにとって何を語っているのだろうか、皆さんと一緒に考えたい。

講 師  日本アイルランド協会会長 /大阪経済大学名誉教授   本多 三郎氏
日 時 2015年9月6日(日) 14:00~16:00  (13:30会場)
         
会 場  健康づくりサポートセンター 視聴覚室 (8F)  (旧婦人会館
福岡市中央区舞鶴2-5-1   ☎ 092-7512-2627
 参加費   一般1500円  会員 無料*当日会場で直接受付ます。
主 催 日本ケルト協会
後 援 福岡市、福岡教育委員会 、(公財)福岡市文化芸術振興財団

日本近代文学におけるアイルランド =雑誌が生み出した流行とその魅力=

日本近代文学におけるアイルランド=雑誌が生み出した流行とその魅力=

今回のセミナーでは、大正期から昭和期にかけての文学青年たちの胸を熱くさせたアイルランド文学の魅力はどこにあったのか、その秘密に迫りたいと考えています。
日本文学とアイルランドの関係に着目してみると、明治時代の中頃からアイルランド文学が注目を集めた面白い現象が見られます。特に、大正期には、のちに作家として活躍する大学生時代の芥川龍之介や菊池寛、西條八十、日夏歌之介らが文学同人誌に次々に翻訳や紹介記事を掲載し、イェイツやアイルランド文学の特集号を企画するなどの「流行」が生まれます。芥川や日夏ら若い文学青年たちは、アイルランド文学を愛好する者として大学を越えて交流し、西條八十の家で開催された愛蘭土文学研究会で語り合い、自分たちの文学観をはぐくんでいきました。
さらに、イェイツやシングといったアイルランドの劇作家の影響を受けて執筆した菊池寛の戯曲が英語に翻訳されて、1925年に刊行されます。そのときロンドンのいくつかの新聞で「日本の天才と新しい戯曲」の誕生(オブザーバー紙)などと賞賛されました。菊池寛の戯曲を読んだイェイツは「屋上の狂人」を評価し、翌年ダブリンのアベイ座で上演します。このようなアイルランドと日本の文学交流がなぜ起こったのかについても追跡したいと思っています。

講 師   金沢大学准教授    鈴木暁世氏
日 時 2015年6月28日(日) 14:00~16:00  (13:30会場)
         
会 場  健康づくりサポートセンター 視聴覚室 (8F)  (旧婦人会館)
福岡市中央区舞鶴2-5-1   ☎ 092-712-2662
 参加費   一般1500円  会員 無料*当日会場で直接受付ます。
主 催 日本ケルト協会
後 援 福岡市、福岡教育委員会 、(公財)福岡市文化芸術振興財団

イエイツと詩の力 「赤毛のハンラハン物語」と『葦間の風』をめぐって

 イエイツと詩の力「赤毛のハンラハン物語」と『葦間の風』をめぐって

 2015年はW・B・イェイツの生誕一五〇周年の節目にあたる年なので、彼の文学について語ってみたいと思う。さりとて全部を網羅的に、というわけにはいかない。今回はイェイツ山塊の入り口近くにそびえたつ最初のピークと言うべき、世紀末のイェイツに的を絞ることにしよう。
イェイツはこの時期、アイルランド西部で農家のひとびとが聞かせる歌や物語に耳を傾けてことばの原初的な魔力に触れ、ダブリンではアイルランド独立運動の活動家に接近し、ロンドンではフランス象徴派に倣おうとした唯美派の詩人グループの一員として頭角を現しつつあった。さらに、時代を形成した思想に反発を感じていた彼は神秘主義にも熟を上げていた。散文物語集『神秘の薔薇』(1897年)と詩集『葦間の風』(1899年)は、フオークロアとナショナリズムと唯美主義をつなぐ独自の達成である。
『神秘の薔薇』には「赤毛のハンラハン物語」と題された6編からなる連作物語がおさめられている。イェイツ自身が後に大幅な改作をおこなったため、この物語の初期版は従来あまり注目されなかったが、最近ぼくは初期版を日本語に翻訳する機会を得た。さらに、『葦間の風』の抒情詩をも日本語に翻訳し、それらを合本して出版しようと計画しているところである。
世紀末のイェイツ文学には妖精や精霊が飛び交い、ことばが獣のようにたわむれ、ときに牙を剥いて、迷い込む者の魂をゆさぶらずにはおかない世界が描かれる。これがいわゆる「ケルトの薄明」のアイルランドで、ぼくたちの多くが心に抱く、アイルランドのイメージの原型である。みなさんとともに、めくるめく幻想のアイルランドを散歩してみたいと思う。

講 師   早稲田大学文学部学術院教授   栩木 伸明氏
日 時 2015年4月19日(日) 14:00~16:00  13:30会場
           
会 場  あいれふ講堂(10F)
福岡市中央区舞鶴2-5-1   ☎ 092-751-7778
 参加費   般1500円  会員 無料*当日会場で直接受付ます
主 催 日本ケルト協会
後 援 福岡市、福岡教育委員会 、(公財)福岡市文化芸術振興財団

アスコットランドとウイスキー ケルト文化から独立運動そして「マッサン」まで。

アスコットランドとウイスキー ケルト文化から独立運動そして「マッサン」まで。

英国からの独立の是非を問う国民投票が昨年秋に行われ、NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」で注目されているスコットランド。
スッコッチ・ウイスキー、ゴルフの発祥地、タータンチェック、バグパイプ、怪獣ネッシ-・・・・。かの地に思いを馳せると、いろんなアイコンがイメージされますが、その素顔はあまり知られていません。
スコットランドは、お隣のアイルランドと同様、「ケルトの国」と呼ばれています。そのいわれを歴史と文化の面からわかりやすく解説します。とりわけ先住民のピクト人、ブリトン人、アイルランドから渡って来たスコット人らケルト系民族が立していた「暗黒時代」に焦点を当て、いかにスコットランドという国が築かれていったのか、そのプロセスを浮き彫りにします。イングランドとの確執、今回の独立の動きにも深く関わっています。
さらに世界に冠たるスコッチ・ウイスキーの誕生から変遷、そして現状についてもお話します。「ケルトの酒」と自負するスコッチにまつわるさまざまなエピソードやこぼれ話、スコッチを目標に本格的なジャパニーズ・ウイスキーを生み出し、「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝さん(ニッカウヰスキー創設者)の功績についても言及したい思っています。琥珀色の液体が放つ魅力とは・・・?
今回の講座は、大所高所から見据えた「スコットランド入門学」です。

講 師   第一部講演  武部 好伸氏   エッセイスト/関西大学社会学部非常勤講師
第二部試飲  山口 宏氏    アサヒビール(㈱ 九州総括本部営業企画部 担当部長
日 時 2015年3月8日(日) 15:00~17:00  14:45会場
第一部講演 15:00~16:30
第二部試飲 16:30~17:00
会 場  西鉄イン福岡13F BLOSSO
福岡市中央区天神1-16-1 西鉄イン福岡13F ☎ 092-712-5775
 参加費   2500円  定員65名   定員になり次第締め切らせていただきます場 。
主 催 日本ケルト協会
後 援 福岡市、(公財)福岡市文化芸術振興財団
 協 力  NPO法人 プロフェッショナル・バーテンダーズ機構 九州エリア
 協 力・協賛  アサヒビール株式会

定例会 多摩美術大学 教授/芸術人類学研究所 所長 鶴岡 真弓氏

定例会

多摩美術大学 教授/芸術人類学研究所 所長 鶴岡 真弓氏

ユーロ=アジア世界とケルト【神話と象徴のデザイン力】■「日本/列島」は、大航海時代以来、インドやカタイ(中国)の彼方にある「極東の島国」として描き出され『魏志倭人伝』に記されたように東海の彼方の周縁とみなされた。しかし北半球で最大にして地球上最も多様な民族文化を培ってきた「ユーラシア」大陸を見渡せば、この極東の列島は「東の縁(ふち)」ではなく、「東の極み」を占める文明の「極」であることを発見させられる。■つまり日本/列島は、ユーラシア「世界」を東の極みから眺望するヴィスタを占め、その芸術文化は、およそ一万年前の縄文文化から、「開かれたユーロ=アジア性」を、芸術や宗教儀礼に表し営みをつづけてきた。 ■たとえばアイヌの人々の衣「アトゥシ」は、シベリア沿海州のナナイ族の人々の花嫁衣装にいまも生きる曲線文様を共有し、「フローラ(植物)界とファウナ(動物)界」を交流させた、北方ユーラシアに普遍的な「生命のしるし」のデザインとして、遠く西の極みの北方ヨーロッパ文明(たとえばケルト文明)の意匠にまで、通じている。■今回はこれまで個々別々に観察されてきたユーロ=アジア世界の民族・集団の芸術の間に動的に「分かち持たれた共有性」から見直してゆき、ヨーロッパの基層ケルトがいかに「ユーロ=アジア世界」とネットワークをもち「神話と造形のデザイン力」を培ってきたか、そのダイナミズムについてお話いただきました。

ケルト文化とユーロ=アジア世界 ~動物・植物・鉱物の神話と芸術~

ケルト文化とユーロ=アジア世界
~動物・植物・鉱物の神話と芸術~

 ユーロ=アジア世界とケルト【神話と象徴のデザイン力】■「日本/列島」は、大航海時代以来、インドやカタイ(中国)の彼方にある「極東の島国」として描き出され『魏志倭人伝』に記されたように東海の彼方の周縁とみなされた。しかし北半球で最大にして地球上最も多様な民族文化を培ってきた「ユーラシア」大陸を見渡せば、この極東の列島は「東の縁(ふち)」ではなく、「東の極み」を占める文明の「極」であることを発見させられる。■つまり日本/列島は、ユーラシア「世界」を東の極みから眺望するヴィスタを占め、その芸術文化は、およそ一万年前の縄文文化から、「開かれたユーロ=アジア性」を、芸術や宗教儀礼に表し営みをつづけてきた。 ■たとえばアイヌの人々の衣「アトゥシ」は、シベリア沿海州のナナイ族の人々の花嫁衣装にいまも生きる曲線文様を共有し、「フローラ(植物)界とファウナ(動物)界」を交流させた、北方ユーラシアに普遍的な「生命のしるし」のデザインとして、遠く西の極みの北方ヨーロッパ文明(たとえばケルト文明)の意匠にまで、通じている。■今回はこれまで個々別々に観察されてきたユーロ=アジア世界の民族・集団の芸術の間に動的に「分かち持たれた共有性」から見直してゆき、ヨーロッパの基層ケルトがいかに「ユーロ=アジア世界」とネットワークをもち「神話と造形のデザイン力」を培ってきたか、そのダイナミズムについてお話いたします。

講 師  多摩美術大学 教授/芸術人類学研究所 所長 鶴岡 真弓氏
日 時 2014年12月7日(日) 14:00~16:00 (13:30開場)
会 場 あいれふ 講堂〈10F〉 
福岡市中央区舞鶴2-5-1
☎092-751-7778
 参加費   一般1500円     /    会員無料
* 当日、会場で直接受付ます。
主 催 日本ケルト協会
後 援 福岡市、福岡市教育委員会、(公財)福岡市文化芸術振興財団

漢とローマ~倭とケルト

漢とローマ~倭とケルト

九州歴史資料館 館長 西谷  正 氏

今から2千年ほど前、ユーラシア大陸の東と西に、二つの大きな文化圏があった。東の文化圏とは漢帝国を中心としたものであり、そして、西の文化圏とはローマ帝国のそれであった。また、二つの文化圏の周辺には、それぞれ、異民族の文化圏が見られた。東の漢帝国の周辺文化圏の一つが、その当時、漢帝国から倭と呼ばれた現在の日本列島において認められる。
漢帝国は北方の草原地帯を舞台に強大な勢力を形成し、南方へ進出を計っていた匈奴を牽引するため、倭をその冊封体制下に組み入れようとした。一方、漢帝国とはシルク・ロードのオアシス・ルートで結ばれた西方に、ローマ帝国が位置した。ローマ帝国は、その版図拡大の過程で、現在のイングランドのケルトへと進出した。ここにおいて、西のローマ帝国とケルトの関係を、東の漢帝国と倭のそれとの比較から、二つの地域間に見られる共通性と相違点を見出したいと思う。
たとえば、ローマ帝国のファートに対して、ケルトはヒルフォートで対抗した。それに対して、漢帝国の場合は、群県治所の設置が見られたが、漢帝国の直接支配を受けなかった倭では、朝貢関係を結んだ。ただ、倭における防衛的な環濠集落はケルトのそれに共通点が見出せる。しかし、防衛対象は、ケルトの環濠集落がローマ帝国であるのに対して、倭のそれは倭内部の周辺諸国であった点は大きな違いである。

アイルランドの石の美術 拓本

アイルランドの石の美術 拓本

1994年12月に当会が発足して2014年は20周年を迎えます。特別記念行事として故大野忠男氏が1973年から1979年に亘ってアイルランドの遺跡から採拓された拓本を中心にした展覧会を開催致します。

展示されている拓本を、巨石の時代、ケルトの時代、初期キリスト教時代、ノルマン侵入時代、それ以降の時代~と歴史的に見ながら、ケルト文化、キリスト教文化、ゲルマン文化がどのように関係しながら現れているかを辿ります。

講 師  書家     齋藤 五十二 氏
日 時 2014年9月21日(日) 13:00~15:00
会 場 アクロス福岡 「アイルランドの石の美術 拓本展」 の会場で行います。
*詳しくは下記の〈特別企画〉の欄をご覧下さい
福岡市中央区天神1-1-1 アクロス福岡2F交流ギャラリー
主 催 日本ケルト協会
後 援 福岡市、福岡市教育委員会、(公財)福岡市文化芸術振興財団

定例会 書家 齋藤 五十二 氏

定例会

書家     齋藤 五十二 氏

1994年12月に当会が発足して2014年は20周年を迎えます。特別記念行事として故大野忠男氏が1973年から1979年に亘ってアイルランドの遺跡から採拓された拓本を中心にした展覧会を開催致します。

展示されている拓本を、巨石の時代、ケルトの時代、初期キリスト教時代、ノルマン侵入時代、それ以降の時代~と歴史的に見ながら、ケルト文化、キリスト教文化、ゲルマン文化がどのように関係しながら現れているかを辿ります。

ケルトの水脈~ブルターニュ(ブレイス)がケルトを意識するとき~

ケルトの水脈
~ブルターニュ(ブレイス)がケルトを意識するとき~

女子美術大学教授    原 聖 氏

 ブルターニュ(ブレイス)では、現在、「ケルト間交流祭り(フェスティバル・アンテールセルティック」というイヴェントが40万人もの観客を集めて開催され、「ケルト・サークル(セルクル・セルティック)」という伝統舞踏の愛好家団体は、200を超える支部をブルターニュ全域にもっている。ブルターニュにとって「ケルト」とは、アイデンティティの重要な部分であり観光資源ともなっているのである。
フランスにおける「ケルト」は、16世紀に登場し、当初は「ガリア(ゴール)と同義だった。反フランス的な民族主義の核として「ケルト」が意識されるようになるのは、19世紀半ば以降である。こうしたなかで、民俗学が対象とする、生活習慣や民話に含まれる、キリスト教に包摂されないような部分が「ケルト的」とみなされるようになるのである。
同時に、ケルト諸語の同族性をもとにしたケルト語圏の交流活動が始まる。
これが、はじめに紹介したイヴェントや団体にまでつながっているのである。
こうした「ケルト」について、具体的事例を通して解説する。